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落語について

落語は近世期の日本において成立し、現在まで伝承されている伝統的な話芸の一種。
衣装や道具、音曲を極力使わず、身振りと語りのみで物語を進めてゆく独自の演芸であり、高度な技芸を要する伝統芸能。

本来「落語」とは落語家が行う演目(ネタ)のなかでも滑稽を中心とし、落ち(サゲ)を持つ「落とし噺」(おとしばなし)のことを指した。

寄席や演芸場の興行で演じるプロを落語家(噺家)と呼び、戦前までは彼らの多くが興行収入の歩合(割)によって生活を保障されていたが、今日は芸能プロとの契約により生活している者も多い。

江戸落語と上方落語には小道具や慣習に違いがある。

歴史
17世紀後半になると、江戸の町では大坂出身の鹿野武左衛門が芝居小屋や風呂屋で「座敷仕方咄」を始めた。
同時期に京都では露の五郎兵衛が四条河原で活躍し、後水尾天皇の皇女の御前で演じることもあった。大坂には米沢彦八が現れて人気を博し、名古屋でも公演をした。
また、『寿限無』の元になる話を作ったのが初代の彦八であると言われている。

18世紀後半になると、上方では雑俳や仮名草子に関わる人々が「咄(はなし)」を集め始めた。
これが白鯉館卯雲という狂歌師によって江戸に伝えられて江戸小咄が生まれた。
上方では1770年代に、江戸では1786年に烏亭焉馬らによって咄の会が始められた。
やがて1798年に岡本万作と初代三笑亭可楽がそれぞれ江戸で2軒の寄席を開くと、その後寄席の数は急激に増えた。

幕末から明治にかけて活躍した三遊亭圓朝は歴史的な名人として知られ、圓朝の高座を書き記した速記本は当時の文学、特に言文一致の文章の成立に大きな影響を与えた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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